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2013年7月

やばいですな・・・

前回ブログ更新してからというものあっという間に9ヶ月・・・びっくりしました。白髪も太鼓も増えるはずです。


今日は今週末に出るイベントのリハでした。で、ダラブッカクラスの生徒さん数人にバッキング(ソロを叩く後ろでリズムキープしてもらう)出演をお願いしたわけです。
皆さんかなりプレッシャーだったようですが、お願いしてから約1ヶ月程?出した課題をおのおの自宅練習してくれていたようで、本番ではばっちり合わせられそう。心強いです。


音を聴いて、合わせて叩く。でもそれは合わせて叩いているんじゃないってこと、少しずつでも感じてもらえると、もっともっと解放されていくのだけれど、そういうのって言葉で言っていても中々伝わらない(しかも地味な練習の上にしか、解放はやってこない事実・・・)。
やはり、体感して体感して、手放して、一体になる。

自分ももちろんまだまだ道程半ばですが、これ禅の感覚に似ているといつも思うのです。でも決して「空」ではないよなあ。とも思う。
『空』にたどり着いた事がないからホントのところは当然分からないけれど、般若心経の教えからいえば、やはり違うのかもしれないな。と、感じる。確かにその課程で通る路ではあるけど。

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ここから少し脱線する・・・






今から10数年前、2ヶ月半ほどラオスの寺で禅ではなくヴィパッサナの瞑想をしていました。
もちろん修行中だから楽器なんか持っていない(もとより全身白装束。全ての行動をゆっくり、しゃべらず、読まず、聞かず、アイコンタクトもしない生活。話すのは朝のアチャン(先生)からの指導時のみという生活だから・・・)ので、音楽と瞑想の関係性などその時は考えてはいなかったけど、これが非常に似通ったものでいながら、同時に非常に危険なものでもあるという強い認識を持った。

ただ「エゴを脱ぎ捨ててゆく」という点では(これはとても短絡的な見方だけれども)似通ってはいるので、音楽をやっていると宗教的なものに寄り添っている時の様な安心感と高揚感を比較的容易に手にすることができる。これが危険だという意見の一旦ではあるのだけれど、一方、太古から音楽は宗教的なものとともに発展しているので、これはいっそ切り離してはいけないものだったのではないか、とさえ思えてしまう。切り離したとたんに音楽を餌にしようとするマーラが近づいてくるのかもしれない。
と、ここはおもしろ半分に書いている。
もどして、インド音楽の様に「いわゆる神様」のために、一体になるために、正しい音を出せば下りてくる、とまで真っ直ぐにいってしまえる程の音楽になると、これは別の話になるわけです。

7月に、昔自分がインド音楽を演奏していた時の友人と、約10年ぶりに共演。
これも不思議な縁に包まれた演奏の機会です。

と、、


なんでそんなとりとめのない事達を思い出したかというと・・・

[ Egberto Gismonti ]

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最近この人の音と映像がふと夢に出てきて、確かにずっと前に好きで聴いてはいた人なんだけれど、最近とんと聴いてなかった。なぜ、今夢に?
ネットでひたすら検索。そのキーワードはなんだ!?

でました。
『カラテ』

ああ、、だからか、、今の自分を象徴している言葉、、潜在的なところから一気に浮上してきましたねジスモンチ様!

と、でもそこからどう発展するのだね?
とさらに調べてみると、、次なるキーワードは『NaNa Vasconcelos』
素晴らしい演奏です。


Nanaさんは、以前マイヒーロー「Zohar Fresco」と対戦している映像で観て、一発で大ファンになった人。→ 
ブラジルの田中邦衛と名付けた。


そろそろキーワードにもお腹いっぱいなところですが、出てきました『フレーヴォ(Frevo)』
これは面白い!


これら点と点がどうつながるのか・・・今見渡してみると、それは上記した長野でしょう。
また告知いたします。





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